sakuraneko30’s blog

足立区伊興5丁目に住んでいます。30年以上に渡る集団ストーカーテクノロジー犯罪の被害に遭っている山田ミナ子と言います。高校の担任に集団ストーカーのリストあげられ足立区から嫌がらせ対象者として選別され国家犯罪に巻き込まれています。私の体内には、スマートダストが入っています。それによって放射線照射が四方八方から行われ常に盗撮されトイレの便座にまでこのチップが付いています。盗撮や放射線照射は、教育者や建設会社や学生を中心に 裁き・リンチと言い一定時間ショー感覚でアプリで見られています。

性犯罪

 

この記事は2018年に書いたものです。

 

その為、まだこの性犯罪が国家レベルの犯罪だとこの時点で気がついていません。

 






 

 

 

この性犯罪すら集団ストーカーテクノロジー犯罪だと分かっていません。

 

この後、母が町会の方と盗撮犯の東條國榮を近隣トラブルの相談で私の自宅に呼んでしまい

 

地域ぐるみの犯罪だと分かります。

 

 

同時に東條國榮、中田武志が私のライブ盗撮を見ている事も分かりました。

 

 

ここまであからさまになってきたのが2016年4月からですが私は、盗撮犯の中田武志と東條國榮と

 

関わった17年前にすでにリストにあがり衛星経由でのライブ盗撮も放射線照射も行われてきたはずです。

 

場合によっては、公安に依頼され衛星経由でのライブ盗撮を撮影する為、関わってきた可能性もあります。

 

けれどそのような問題ではなく私は、全国の国民に監視、裸の状態で盗撮、放射線照射をされ

 

公安主導の国家犯罪に巻き込まれていました。

 

 

 

自宅の玄関を出て左に進み小道をぬけ左を見ると4件先に私を盗撮して投稿した

 

中田武志の自宅が見えます。わずか一分の距離です。

 

同じ北町会で男性は、現在も母親と二人で暮らしています。

 

私は、16年前、この男性(当時46歳)と男性の友人の共犯者の東條國榮(当時57歳)に

 

共謀して盗撮、盗聴を繰り返され、有料サイトに住所と実名付きで大規模に投稿

 

され性犯罪に巻き込まれました。

 

 


今から15年前の春、私は、公道で上半身、裸になり服を脱いでいます。


笑って脱いでいますが冷静でした。

 

 

 

2003年春、父が食道がんになり私が父の代わりに実家のスナックを手伝うようになります。

ここで自宅から一分程の距離に住む男性中田武志と知り合い交際します。父や母と長い付き合いのある方で自宅も目の前だった事から私は、安心していました。


私の方が相手を好きになり声をかけました。


けれどこれは、通常の交際とは違い交際をするふりをして盗撮をする事を目的とした性犯罪でした。


最初は、優しかったのですが言葉の暴力や態度での嫌がらせが多くなり交際費も私が出して

 

いた事から最初は、金銭目的だと思っていましたが


そのうちに盗聴や盗撮に気がつきました。



相手は私より10歳以上年上でしたが安心感は、一度もありませんでした。悪意と敵意と馬鹿

 

にした態度そして私を騙している事や集団で犯罪をしている事への優越感が演技をしていて

 

も見え隠れしていました。


父はこの男性の事で私を心配したまま亡くなりました。



私は、相手に何も言わず毎日のように電話をかけ何とか信頼関係を築こうと思いました。



相手の行為をやめさせる為尽くしたつもりでしたが早い段階で離れなかった為どんどん相手

 

に対する恐怖感が強くなり嫌なことを嫌だと言えなくなっていました。


ある日、呼び出され相手の車に乗ります


行為が終わると私を車から急いで降ろし盗撮画像を見せる為仲間の所に走って行きました。


この時中田武志と複数名の笑い声がずっと聞こえていました。


私は、その場所から動けず気分が悪くなりしばらくの間しゃがみこんでいました。



自分が受けている人間以下の行為にどう対処していいかわからず吐き気が止まりませんでした。


私は、カウンセラーと知人に相談に行きました。母にもついに盗撮の事を話ました。



母は、もう関わりたくないからお店を閉店して離れようと言ってくれました。







2004年春、食事に誘われて一緒に自転車で出かけます。その時大通りの公道で服を脱ぐように言われます。


ここを盗撮場所に選んだのは後から画像を流通させても第三者の撮影と言い逃れができるからです。


通常そのような事を言われてそんな行為をする馬鹿はいませんが私は、長い時間をかけ相手に恐怖心を植え付けられていました。


絶対に私が自分に逆らわず従う事が分かっていて中田武志は、東條國榮を先回りさせ一眼レフで撮影させていました。


その後、林に連れていかれ盗撮の為ああしろこうしろと指示があり私の左側で東條國榮が撮影していました。


私は、この時警察に行こうと思い母に相談した方がいいのか一晩中悩みましたが


中田武志の俺は執念深いんだと言う言葉が離れず、はやくお店を閉店して関わるのをやめようと思いました。


東條國榮、この男も私の父と母の古い知人です。私の中学校時代の同級生のO(女性)の母親の不倫相手です。








近所で有名なカメラマニアで近隣の人が一眼レフを持っている人などと噂をしていたのを聞いた事があります。

おそらく中学校時代の私の同級生のグループのOが母親の不倫相手Tに盗撮を依頼し東條國榮が中田武志

 

と共謀して盗撮をしていました。

今から1年程前中学校時代の同級生T夫妻が私の家に訪ねて来る夢を見ます。接点がなくず

 

っと不思議でしたが、、、


このすぐ後の中学校の同窓会で私の画像ないし動画の上映があったと思われます。


そこに私の小学校の担任の先生がその場にいました。おそらく先生も画像を見ていますが自

 

分の立場と加害者を守るため私に黙ってきました。

 

先生は、その直後に数名に私の生活が乱れていると言っています。

 

 

けれど、私は先生が関与している事が分かっていてずっと先生に今回の事を相談していました。

 

先生は、皆の前で私に気にしぎとノイローゼのように言っていますがそうしないと教育者として

 

自分がとった行動が正当化できないからです。

 

 

私は、近隣に年齢が近い従妹が数名います。一番仲のいい同い年の従妹も先生の事をよく

 

知っている為、本当なら16年前の画像を見た時、まわりに噂を話すぐらいなら私に話すべき

 

と言っています。この従妹が心配して、グーグルの検索に私の名前に住所がついてあがって

 

いる時、削除依頼前に画像を拾おうとしてさんざん調べてくれました。

 

以前は、車で頻繁に来ていましたが、1度従妹も車を止める時学校から学生に怒鳴られた

 

為、巻き込む恐れがありあまり会わないようにしています。

 

 

 

 

 

 

 

もう1名O(女性)の親戚の男性ですが、この盗撮があった時期、何度も私を食事に誘っていま

 

す。

 

家に誘いに来た事もありました。食事には、一度も行っていませんがおそらくOがこの男性に

 

も盗撮を依頼していた気がします。

 

この男性にも会っていませんが先生同様に会話から何か分かればと思い、ずっと電話で学生

 

の嫌がらせの事を相談していました。

 

 

O達がTと中田武志から受け取った盗撮画像を皆に見せ公道で服を脱ぐバカ女、野外でセックスをするバカ女と説明して配ったと思います。



大半の人間が画像を見て共犯になったと思います。

通常のリベンジポルノなどの性犯罪と違い集団のグループによる長期間計画された犯罪でした。

そして今、この方達のお子さん達がこの方達から受け継ぐ形で地域の嫌がらせが始まりました。

私は、O親子、T夫婦と何の関わりもありません。恨みを買うような覚えもありません。



そのことを弁護士さんに言うと、まだ分からないのですか中学生の事も保護者も盗撮もあなた

 

の住んでいる地域の悪さですと言われました。有名です、、、、と


けれど、わたしがその人達のもともと持っている悪い部分を引出したのです。

 

そしてこの人たちは、私を人間だとは、思っていません。中田武志,東條國榮、O含む全員が私に人権は無いと思っています。



その後、母と約束をしたとおりお店をたたみ会社員になり携帯電話を解約して中田武志から離れまし

 

たがここからがPTSDの地獄と画像拡散の地獄が待っていました。


私が中田武志から離れなかったもう一つの理由は、私の両親は、中田武志や東條國榮の親族に決して同じような事はしません。


この自宅から1分の距離で私の両親にかけらの罪悪感もないのかとずっと思っていました。



これ以上の事をまだやってくるのかそれを見てみたいと思いました。

 

 

 





この後、1年ちょっとが経ち、また中田武志と偶然会ってしまい3回会いました。(2006年春)


私は、服を脱いだ公道に中田武志を連れていきその時と同じ事をしました。頭がおかしくなったわけで

 

はありません。

 

まだ当時は、今のように全体像が見えていなかった為本当の事がどうしても知りたかったのと

 

1年以上も演技をしてここまでする相手に強い怒りがありました。


長期間PTSDで苦しみ相手にぶつける事もできず精いっぱいの抵抗でした。


本当の事を話してもらい謝ってもらう為でしたが中田武志はやめろよと言い私をすぐに人を切り捨て

 

る人間と言いました。


その後、すぐ1度私の家にやってきて、行為が終わるとさっさと帰って行きました。私は、フラッ

 

シュバックと吐き気が止まらず次の日、携帯電話を解約してそれきり二度と会っていません。


画像は、拡散してグーグルの検索に私の名前に住所がくっついてあがってきていました。


職場でもパソコンスクールでも画像を見られている事が分かり人と関わる事が怖くなりました。

 

いかがわしい女と言われた事もありました。


当然です。公道で脱いだのですから。



常に頭から画像の事が離れないまま16年が経ちました。



夜フラッシュバックで起きることが頻繁にあり何をしていても常に頭から離れず1日も忘れた事

 

は、ありませんでした。



1番悪いのは、自分だと言い聞かせていましたが学生の嫌がらせの事で、昨年10月母は町会

 

の方と東條國榮を家に呼んでしまいます。


母は東條國榮を犯人だと思っていませんでした。しかも皮肉にもいい人だと思っていました。


その時、東條國榮は、みじんも私の母に悪いと思っていない事が分かり、さらに機会があればもう一

 

度私を盗撮しようと思っている事が分かりました。



さらに中田武志と私の父のお墓の話をしたと言ったのです。



もし中田武志が今後悔している事があるとすればもっと金銭面で利用価値があったのに、、、

 

そんなところです。


この人たちは、ばれなければ何をしてもいいと思っている人間です。

 

 

そして平気で嘘をつき弱い者に言葉の暴力や脅しで従わせようとする人間です。



後悔があるとしたら世間体(自分の立場)だけです。

 

 

 

自分達が世間に見せていない本当の顔を知られる事を一番嫌がっています。