火の鳥
大昔に全シリーズを持っていましたが、引っ越して手放してしまい
現在、2階の納戸に数冊残っています。
個人的には、望郷編が一番好きでした。
私は、暗い時代といわれた昭和初期のなかでも、実に恵まれた環境で子ども時代をすごせたと思っています。しかしそれも、青春期には、空襲と窮乏生活によってほとんど失ってしまいました。父は戦争にとられるし、勉強はできず、腹をすかせ、大勢の友人を失いました。空襲に襲われて周囲が火と死体の山となったとき、絶望して、もう世界は終末だと思ったものです。だから戦争の終わった日、空襲の心配がなくなって、いっせいに町の灯(ひ)がパッとついたとき、私は思わずバンザイをし、涙をこぼしました。これは事実です。心の底からうれしかった。平和の幸福を満喫し、生きていてよかったと思いました。これは、当時の日本人のほとんどの感慨だと思います。
もう二度と、戦争なんか起こすまい、もう二度と、武器なんか持つまい、孫子(まごこ)の代までこの体験を伝えよう。あの日、あの時代、生き延びた人々は、だれだってそういう感慨をもったものです。ことに家や家族を失い、また戦争孤児になった子どもたちは、とりわけそう誓ったはずです。 それがいつの間にか風化し形骸化して、またもや政府が、きな臭い方向に向かおうとしている。子どもたちのために、当然おとながそれを阻止しなければならないと同時に、子ども自身がそれを拒否するような人間にはぐくんでやらなければならないと思うのです。 それは結局、先に述べたように、子どもに生きるということの喜びと、大切さ、そして生命の尊厳、これを教えるほかないと思うのです。人命だけでなく生命あるものすべてを戦争の破壊と悲惨から守るんだという信念を子どもにうえつける教育、そして子どもの文化はそのうえに成り立つものでなければならない。けっして反戦だの平和だのの政治的のみのお題目では、子どもはついてこない。率先して、生命の尊厳から教えていくという姿勢が大事なのではないでしょうか。[119]
手塚治虫さんは、スキルス胃癌で60歳で亡くなっています。
この火の鳥は、一貫して同じテーマがあるような気がします。
人間は、一番大切な事が分かっていれば、滅んだりする事はないのですが人が多く集まると必ず争いが起こり、間違った方向に進み、幸福だった人が犠牲になり結局全て滅んでしまうと伝えたかったのだと思います。
人間は、その一番大切な事に絶対に気がつけない生き物だと言っているのだと思います。
本当は、一番簡単で大切な事、、
それすら守れれば誰も不幸になる事がないと教えてくれている気がします。
そして、一番大切なのは、人が人を思いやる心だと教えてくれている気がします。