人間はどこまで残虐になれるのか!?
人間はどこまで残虐になれるのか!?
https://wired.jp/2017/05/26/milgram-experiment/
権威者の指示なら、「9割」の人々が電気ショックのボタンを押し続ける:現代版
「ミルグラムの実験」で明らかに
1933年 ―― ドイツで、ヒトラーが政権につく。
もちろん嫌がらせに加わっているのいは、全く関わった事もない方達ばかりですが これが国家プロジェクトです。 同じ人間ですが、私に必死で嫌がらせをしている方達は、同じようにライブ盗撮や放射線照射をされることを誰も望んでいません。 私は、竹ノ塚警察に「貴方は、警察には、悪い事をしていないが他でした」と言われていますが放射線照射や暗殺の国家犯罪と結びつかず精神と肉体の人体実験の検体に選んだ言い訳にしか聞こえないのです。 そして、魔女裁判についても何度も何度も繰り返し考えました。 当時、人間が病にかかったようにおかしな方向に進んでしまい目が覚めるのに時間がかかってしまったと。 そして何の罪もない方達が犠牲になったのだとおもいます。 権威者の指示なら、「9割」の人々が電気ショックのボタンを押し続ける「ミルグラムの実験」、、、それだけではなく、人間が集団になった時、間違っていたとしても同じ方向に力が動くのだと思います。私の被害は日本の集団ストーカーテクノロジー犯罪の中でも初めてのケースです。 今までの集団ストーカーテクノロジー犯罪は、公にならないように行われてきましたが私の場合は、多くの国民やメディアも巻き込んで衛星経由でのライブ盗撮や放射線照射をを公開しています。 国家の人体実験に選ばれた私は、長い間、全国の国民に裸の状態で私生活をのぞき見されていました。それは、私だけの実験ではないからです。 多くの国民を子供までも巻き込んだプロジェクトです。 さらに放射線照射まで多くの国民が見ている中で行われています。 検体は、私だけではなく加害に参加している人間も検体なのです。 現在、私は、記録をのこしています。 母は、それを無駄なことと言っていますが決して無駄ではないと思います。 当時、ユダヤ人の大量惨殺を誰も止めることができませんでした。 魔女狩りもです。 その当時の方達が正しいと思い行った事が、当時ではどうする事も出来なかった過ちが、 その当時の記録が現代に受け継がれて、同じ過ちが二度と起こらないと思うからです。
【人体実験は語る】普通の善人が、弱者に残虐になる瞬間https://news.kodansha.co.jp/20160213_b01
なぜヒトは「意図的に自分の仲間」を殺せるのか。「同種の仲間を殺すのは鋭い牙も強い力も持たないヒトだけ」であるのはなぜか……。この本はヒトの攻撃性はどこから生じてくるのかを認知心理学、実験心理学、脳科学等の知見をもとに追求したものです。 収められた数多くの実験、観察、検査データはとても興味深く読めます。たとえばビデオゲームと人間の暴力性の実験。ここでは「二〇分でも暴力的なビデオゲームをすると、他者への援助行動が弱まります。さらに日常的にこういうゲームをしていると、他者の痛みに対する感受性が弱まります」といったデータが紹介されています。 なかでも「スタンフォード監獄実験」はとても興味深いものでした。「監獄生活はどのような心理的影響をおよぼすのかを調べようとして」、ごく普通の大学生に看守、囚人の役割を演じさせたものです。「予想外だったのは看守役たちもすっかり『なりきって』しまった」ことであり、その囚人役の学生に対する行動がどんどんエスカレートしていきました。それは予想していないことでした。 「もとはといえば『囚人の心』を調べるためにおこなわれたものでした。しかし、その結果は、どこにでもいる普通の大学生が看守の役を担うと、思いもかけない残虐性を発揮」するという行動をもたらしたのです。監視役の暴走は止まる気配を見せず、この実験は1週間もたたずに中止されました。この実験をもとにした映画も作られました。それほどセンセーショナルなものだったのです。 なぜ、残虐性が現れたのでしょうか。この実験が私たちに教えてくれることはふたつあります。ひとつは「人間同士の関係において圧倒的な権力の差が生じると、たとえ普段は善意の人であっても、弱者に対して残虐行為をおこなうようになる」ということです。 もうひとつは自分が正義のもとにあると思った時です。より正確にいうと、川合さんによれば、「わかりにくいのですが、『何が正義か』ではなく正義とは『法を犯した者に処罰を与えられる力がある』ということが重要」になるというのです。「権力を持ったことで攻撃性が現れた、というわけではないのです。『空気』や集団としての無意識によって罰を受けるべきとみなした人に対して、より強い罰」を与える行動に出られたということです。つまり、外部にあるなんらかのものによって自己の行動が〝正当化〟できると〝感じた時〟に残虐性が現れたのです。 これをさらに明確にしたのがミルグラムの「服従実験」でした。詳細は読んでいただきたいのですが、この実験で明らかになったのは「ごく普通の人であっても、『権威ある者』から命令されると、それがたとえ不合理な命令であっても、みずからの常識的な判断を放棄して、その命令に服従してしまう」ということでした。映画『ハンナ・アーレント』のなかでも重要なシーンとして描かれた〝アイヒマン裁判〟でも同じことがみられました。アイヒマンはただ忠実に命令に従っただけという証言がされたのです。アーレントのこの裁判の傍聴記録『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』の副題の『悪の陳腐さ』がそれを物語っています。
さらにヒトの心に大きな影響を与える外部要因のひとつとして「仲間はずれ」というものを取り上げています。驚くことに、わずか2分間の仲間はずれの状態のヒトの脳波がベトナム戦争やイラク戦争などで受けたPTSDの退役兵の脳波と同じパターンを示しているそうです。
ここからも、人間にとって集団というものがいかに重要なのかがわかります。「ヒトは集団から排除されると、自身が生存することも子孫を残すことも危うくなります。そのために、仲間はずれにされることを極端に怖れ(自分が正しいと思っていなかったことでも)他人の考えに同調し、それが極端になった結果として、いじめにつきあったり攻撃的になったりするのかもしれません」。攻撃性は仲間からの疎外、孤立の怖れからも生じることがあるのです。
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